応永十六年(一四〇九)、関白である近衛家出身の玉洞妙院日秀上人によって開創。 戦国時代には、荒木村重により伊丹に移されるが、天正十年(一五八二)近衛家から現境内地の寄進を受け池田に戻る。 境内には、安産子守りの鬼子母神堂、並びに除災招福の妙見堂がある。 また、江戸中期の画家である呉春(松村月渓)が滞在し、画道に精進したことから「呉春の寺」とも呼ばれる。 池田市内では唯一の日蓮宗寺院である。