当山は神奈川県鶴見の曹洞宗大本山総持寺の直末にして、応永二年(一三九五年)三月、永平寺御開山道元禅師より第七代目にあたる天巌禅師により創建された。
室町中期文明年間第四世祥山祖琳禅師の代に池田城主五代、池田筑後守充正公、禅師の徳を慕いて帰依され、伽藍諸堂等再建。山上に修禅の場として「望海亭」を設けた。文明十二年(一四八〇)、京都の等持院景三禅師の書いた「望海亭記」は当山最古の軸物として現存、いまも「望海亭記碑」が残っている。
門を入って重層の本堂前には、室町中期の連歌師牡丹花肖柏の碑がある。
当山六世雪岫禅師の時、池田城主一族の人々の誘引により肖柏は当山塔頭泉福院に住み、「夢庵」と称し、十三年間風流韻事に過した。この間に和歌、連歌を教え、又源氏物語・伊勢物語を講義し、花と酒を愛し、当地に文雅の気風を留めた。