醫王山(いおうざん)壽命寺(じゅみょうじ) 聖武天皇勅願寺
開山は「行基」(668~749)と伝えられています。
伝承によると、「呉織・漢織の織姫が呉の国から日本に渡ってくる時に海上の護身のために携えてきた薬師如来が上陸された唐船ヶ淵(とうせんがふち)に沈んでいる、それを引き上げて仏教興隆に役立てよ。」と行基が神託をうけてこの像を本尊として壽命寺を建立したといわれています。何しろ古い昔のことですから以後何回も再建が繰り返されています。
室町時代「足利善政」が再建した当初は猪名川から東へ2 町、南北2 町半の広さに七堂伽藍があったと記録があります。
永禄2 年には僧「円誉運策」が再建し、宗旨を真言宗から浄土宗に改宗して、本尊を「阿弥陀仏」としました。その後、元禄10 年(1697)にも再建された本堂が平成7 年の阪神大震災で全壊するまで維持されてきました。現在の堂宇は平成10 年に落慶されたものです。
当寺は一般の信仰と共に、南北朝時代から武家の帰依を得ていた有力な寺院でした。そのために貴重な遺品・古文書が多く残されています。