清光山法正寺 当地の住人藤阪恵掌と称する者本願寺第12代宗主准如上人に帰し、寛永年間、当地字中野と称する処に草庵を結びしが、第3世教誓の代に至りて現地へ移転し、第6世智励の代に至り、宝暦元年(1751年)8月13日(一説に天明3年(1782年))藤阪仁兵衛現今の堂宇を1人にて建立す。